表面的な幸せや喜びなんて私は求めていない。 私は知りたかった。感じたかった。私にとっては、心と心のつながりさえあれば他に何もいらなかった。
休みのときに食事に行ったり、買い物に行ったり、旅行に出かけたり、確かに楽しかった。でも深い部分ではどうだったのだろうか。確かに楽しい。でも楽しいだけで、本当の意味での幸せとは何かが違う。
藤田晋との離婚に、奥菜恵は「価値観の違い」があったといいます。それは何だったのでしょうか(引用は「紅い棘」より)。
彼にとっては、どこに行って、何をする、というその事実があればよかったのかもしれない。
どこにいても何をしていても一緒にいられる喜びをともにわかちあうことや、その気持ちを大切にすることが私にとっての幸せだった。ただ幸せを感じながら一緒にいられるなら場所なんてどこでも良かった。
何かをすることが重要ではなかった。
そこが私たちの最大の価値観の違いだったのかもしれない。
幸せなはずなのに、それは”はず”でしかなく、どこか寂しくて虚しくて、心が泣いているのを感じていた。
一緒にいるのが私である必要はないんじゃないだろうか。私はこの人にとってどんな存在なのだろうか。
2人の心のすれ違いを象徴する出来事が、少しずつ起こるようになります。
その頃、彼は本を書いていた。
その本の中に私を登場させたいと言われたことがあった。
「私は”奥菜恵”じゃなくて、一人の人間としてあなたの妻になっただけだから、あまりそういう形では出たくない」
「本を売るために仕方ないじゃん」
「・・・・・」
彼は、私を見ているのではないかもしれない。やっぱり私が感じている寂しさは嘘じゃない。そう思った。
今の私ならもう少し余裕を持って立っていられたかもしれないけれど、当時の自分にはそんな器も心の余裕もなかった。
私が神経質になりすぎていただけなのかもしれない。
”セレブ婚”と騒がれ、”ヒルズ族”と呼ばれてもそれは仕方のないことだったのかもしれない。
でも私は悲しかった。嫌だった。今まで私はお金で人を見てきたことなんか一度もない。人に対してお金で判断したりすることを、最も軽蔑してきた自分があっただけに、そんな眼差しが自分に向けられ、異常なまでの嫌悪感を抱いていた。神経質にならざるをえなかった。
たとえ大前提として敏感になりすぎてた自分がいたとしても、心で会話ができないことは私にとってはとても悲しいことだった。
私は自分の存在価値を確かめたいと思ってしまう。愛すれば愛するほど相手に必要とされたいと願うし、そんな自分であるための努力もする。
心のつながりを感じられない。そんな思いに耐え切れず、奥菜は藤田に気持ちをぶつけることが増えていったといいます。
「これだけ幸せを与えているのに、何が不満なの!?」
ある日、彼にそう言われた。
「私の幸せは目に見えるものが全てじゃない。心の会話ができないことが悲しい。何をしても、何を言っても無関心で、私じゃなくても成り立つって思えてしまうことがもう耐えられない」
「これだけ買い与えて、不自由ない生活をさせてるじゃないか」
感情のスイッチが入って、私は言ってはいけないことを思わず口にしてしまった。
「買い与えて!? あなたの幸せってお金? 肩書き? 世間体? 高級レストランに行くこと? 外車を乗り回すこと? 私はそんなの求めてない! 私はお金と結婚したんじゃない!」
涙が止まらなかった―――。
全ての人がそうなのかは分からないけれど、愛でつながれる喜びが私の幸せで、表面的な幸せや物質的な幸せがいちばん大事だなんて思ってこれまでを生きてきてないし、私は求めていない。
幸せの基準や向かっている方向が違うのかもしれない、二人の間には決して埋められない溝があるのかもしれないということを、私は感じていた。
徐々に心の溝を感じ始める奥菜。そんなとき、藤田の母親から奥菜に手紙が送られてきました。
「あの子は、あなたに寂しい想いをさせていませんか?」
と。
そんな想いを抱えながらも、それもひっくるめて彼を愛する気持ちがそこにはちゃんとあったし、私は前向きに歩み寄ることを考えていた。
彼のご両親のことも大好きだった。とても温かくて平和な空気の漂うお父さんとお母さんだった。遠く離れた場所に住んでいたため、会うことは滅多になかったけれど、お母さんは時々私に手紙を書いてくれていた。
”あの子は、あなたに寂しい想いをさせていませんか?”
あるとき、その手紙のその一文を読んで、思わず溜まっていた感情が爆発して、一人で号泣してしまったことがあった。
寂しい想い・・・・。私は確かに寂しい想いをしていた。
お母さんは彼の性格をよくわかった上で、私の気持ちを心配してくれていたのかもしれない。
でも、大丈夫。彼には素敵なところもたくさんある。温かいところもたくさんある。ここで泣いてちゃいけない。初めの頃を思い出そう。彼を精いっぱい支えよう。そう思わせてくれたありがたい手紙だった。
夫婦にはきっといろいろな時期がある。
どんなことも乗り越えよう。乗り越えたい。
私の両親や、彼のご両親のように、年老いても一緒にいられるように頑張ろう。
「雑念を取り払うようにして、新たな気持ちで彼と向き合おう」
そう心に決めて楽しく生活していたある時、奥菜にとってさらなる亀裂を生むショッキングな出来事が起こります。
結婚前から私が大切にしていたジュエリーボックスがある。
そのジュエリーボックスは父が私の誕生日に贈ってくれた、とても思い入れのあるもので、結婚してからも愛用していた。
「見てこれ!パパが買ってくれたんだよ」
「ふーん。どうせお前のお金で買ったんでしょ?」
何気なく言っただけの言葉で悪気もなかったのかもしれない。
でもショックだった。
その瞬間、怒りなのか、悲しみなのかよく分からない感情に、頭が真っ白になって震えが止まらなくなった。
理解ができなかった。その彼の感覚に戸惑い、恐怖さえも感じた。
目を背けたくても、このときばかりはどうしても目を背けられなかった。なぜなら、その瞬間に私の記憶の回路があるところにフラッシュバックしたのだ。
結婚してから初めての彼の誕生日に、私は贈り物をした。
「どうせ俺の金で買ったんでしょ?」
そのプレゼントは気持ちを込めて自分の貯金で贈ったものだった。
彼からしてみれば、冗談で言ったのだろうと思って、多少のショックは受けつつも、そのときは私は笑って流していた。
しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。
自分のことなら今までのように笑って流せたのかもしれないけれど、親からもらった大切な贈り物に対して、そんなことを言われたということが大きかった。
その感覚が私にはどうしてもわからなかった。
私は人と心でつながっていたい。優しい気持ちで繋がっていたい。それだけだ。
「このとき、結婚した事実にはっきりと疑問を抱いた」と、奥菜は言います。
これくらいのことでショックを受ける私がおかしいのかもしれない。そう思って逆の立場でも考えてみた。でもいくら考えても、私にはそれが例え愛する相手じゃなくても到底言える言葉ではないと思った。
人としての価値観の違い、考え方や捉え方の違いに、私には歩み寄りたくても歩み寄れない次元の出来事だった。根本的なものが完全に違う、そう感じた。
本当はこの本の出版にあたって、このことを書くかどうかもすごく悩んだ。いや、書いている今でも葛藤がある。
でも私は、はっきりと伝えたいと思った。
私はお金のために結婚したわけでも、、セレブに憧れて結婚したわけでもない。本当の意味での心のつながりを求めて結婚をしただけだった。
でも、幸せの基準、価値観には埋めることのできない溝があった。
その感覚の違いにうすうす気がつきながらも、疑問を抱きながらも、そうじゃない部分での幸せももちろんたくさんあった。
いろんな場所へ連れていってもらった。おいしい食事にも連れていってもらった。贈り物もしてもらった。結婚生活は幸せだったと思う。でもどこか埋まりきらない心を抱えながら、私は生きていた。夫婦って何だろう。一緒になるって何だろう。物質的なものに惑わされていて、核の部分でのつながりや喜びがない・・・・。
満たされない奥菜の心を埋めるもの、この当時それは酒でした。「その頃から私の酒量は増えはじめたのかもしれない」と、いいます。
「もう疲れた・・・・」
離婚したときの、私の正直な気持ちである。
食事も喉を通らない、外にも出られない、人に会うのも怖くてできない・・・・。
あの頃の私は、ある種、対人恐怖症のようだった。今まで精神的にはタフだと思っていただけにこの経験で、私も生身の普通の人間なんだと認識させられた。
暗闇の中に一条の光を見るような気持ちで、私は、押しつぶされそうになりながら、息もできないような時間を過ごしていた。
あのときの私の慰めのひとつはお酒だった。
離婚前、自分の存在理由について悩みだした頃から、酒量が増えたように思う。
お酒を口にし、そして感覚を麻痺させようとしていたのだ。
しかし、お酒を飲んで浮遊感の中を漂い、いっとき嫌な思いから開放されたとしても、しらふに戻れば、また再び陰鬱な感情が私を襲う。その繰り返しで何の前進もないことは、自分でもよくわかっていた。
それでも、あのときは、一時的で短い期間ではあったが、そうするしかなかったのだと思う。
結婚から1年して、奥菜は仕事を再開します。そこで得られる生きる実感は、奥菜の自己存在価値を確認させるものでした。それが結果的には藤田に「歩み寄ろうとする気力」を日に日になくさせ、奥菜に離婚を決意させることになります。
ちょうどその時期、1年ちょっとの休業期間を終え、仕事に復帰していた。私は自分の中から湧き出るエネルギーに満ちあふれていた。久々の仕事やその環境が楽しくて幸せだった。やっぱり私はお芝居が大好きで、私の居場所はここなんだと再確認した。何よりも、どこよりも、生きている実感があった。と同時に、このことがきっかけとなって、今まで溜まりに溜まった彼との価値観の相違に対する疑念を抑え込んでいたたががはずれてしまった。
心のつながりが一方通行の状態で、それでも歩み寄ろうとする気力も、日に日に失せていった。なぜこの人と一緒にいるのか、その理由が見いだせなくなっていった。
最後まで自分なりに努力はしてみたものの、自分の気持ちがスーッと引いていくのがわかった。
心が離れていくのを感じた。
2005年7月、私たちは1年半という結婚生活に終止符を打った。
彼は私たちの離婚について自身のブログで次のように綴っている。
【離婚は唐突に聞こえるかもしれませんが、つい先日、解決し難い問題が生じました。ふたりで話し合った結果、しこりを残すよりも別々の人生を歩むことに決めました】
どちらがいい、悪いということを、私は言いたいわけではない。
お互いの問題だったと思う。
彼には彼の価値観や気持ちがあるように、私には私の理由がある。それは最後の最後まで決して交わり合うことはなかった。ひずみが生まれた時点で、もっと早急に解決するべきだったと思う。疑念が生まれた時点で、その溝をさらに深めてしまわないよう、お互いの心の在りかを確認するべきだったと思う。
私自身、人として、妻として、至らない部分も多かったと思うし、まだまだ未熟だった。存在価値を見いだせないという理由で、途中で歩み寄ること、信じることを諦めてしまい、忍耐も足りなかった。価値観の相違を笑って流せるだけの器も余裕もなければ、心の強さを持って支えられるだけの愛も足りなかった。
もちろん楽しい幸せなこともたくさんあった。
いや、楽しい幸せなことの方が多かったと思う。
ただ、お互いの求める幸せの形に温度差があっただけなのかもしれない。少なくとも私はその瞬間、瞬間、一緒にいられることの喜びを感じていたし、短い間だったけれど、そばにいさせてもらえて本当に幸せだった。
私たちは夫婦としては、生涯一緒にいることはできなかったけれど、今でも、人として尊敬しているし、素晴らしい人だと思っている。彼に出逢えたこと、与えてもらった幸せすべてに感謝している。
奥菜恵は、一部で魔性の女と囁かれ、恋多き女といわれています。
「芸能ニュース、どん!」というサイトが、彼女の男性遍歴をまとめていました。
1990年代後半 瀧川一郎(ギタリスト)と交際の噂
2001年7月 押尾学(俳優)との際どい写真が雑誌BUBUKAに掲載される。
2001年 いしだ壱成と交際の噂、金子賢と交際の噂
2004年1月 藤田晋と結婚
2005年7月 離婚
2005年8月 山内圭哉(俳優)と交際の噂、山内は交際を認める
2006年10月 斎藤工(俳優)、大阪のサーファーと二股交際の噂
2007年5月 芸能界引退説
2007年6月 笠原健治(mixi社長)と交際の噂
2007年末 ”まじめで素朴な”会社員と交際
2008年4月 自叙伝『紅い棘』を出版
2009年3月 再婚(「芸能ニュース、どん!」)
これを見ると、実に奔放な愛に生きる女性で、
「やっぱり、芸能界の女性は派手な生活送るんだな」
「これじゃ家庭に収まれなくても当然だろう」
と思われるかも知れません。
しかし、奥菜の自叙伝「紅い棘」は特に同性である女性からの支持を得て、発売後まもなく3万部を突破したといいます。
「痛いほどの悲しみを知りたい。震え上がるほどの喜びも知りたい。」
「狂おしいほど人を想いたい。そんなザクザクと突き刺さるほどの想いを感じられることが、私にとっての”生きる”こと」
自叙伝の「紅い棘」の意味を奥菜恵は、そう語っています。
本当のところがどうだったのか、それは藤田の側の声も聞いてみなければわかりません。おそらく、藤田の言い分もあることでしょう。
一つの会社を経営する社長としては、その社会的な責任もあり、奥菜の女性としての気持ちをわかりながらも、それに寄り添うだけの十分な時間も余裕もなかったのかもしれません。
その上でなお言えるのは、奥菜の自叙伝での告白は離婚や彼との関係に悩む多くの女性が共感を覚え、実際に離婚するに至った女性の気持ちを明快に代弁しているものではないか、ということです。
人と人が、男性と女性が分かり合う、心を通わせ合うということがどこまでも難しいことであると改めて思います。
奥菜の再婚の相手は、ごく一般の会社員だそうです。
果たして、今度は本当の心のつながりが得られるでしょうか。奥菜の希望も、おそらくそこにあるのでしょう。
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